小学生の時自転車に乗っていて坂道を猛スピードで降りているときに逆に登ってくる乗用車と追突。なんと弟と一緒に競争していたこともあって2人同時に車にひかれて、救急車に乗って救急病院に運ばれることになりました。夏休みの夕方のことで、先方の車を運転していたのは大学生でした。
正直なところ完全に悪いのは子供だった私たちの方だと思います。ぶつかった瞬間の事は30年経った今でも鮮明に覚えている位、衝撃的な出来事でした。プールに行った帰りに弟とどっちが先に家に着くかの競争をしており、しかも急な坂をどれだけ早く下りられるかを競うなど、今考えるだけでぞっとするほど危ないことをしたものです。
ガードレールで頭をぶつけた拍子に田んぼに落ちたことで、頭を打ち付けた部分の出血があり今でも覚えていますが、ストレッチに乗せられて麻酔をかけられたことを覚えています。人生で初めて縫うことも体験しました。もちろん麻酔をかけましたがなんとなく頭を針と糸が動いているのが視界に入り怖かったです。
田んぼとはいえ、5メートル近いところから墜落したこともあり痛いところがないか、骨折したところはないかと言う問診も同時に行いました。また頭を打ったこともあって「落ち着いたらすぐに頭のレントゲンを撮りましょう」と言う話を親と一緒にされたことを覚えています。自分自身はそれどころではなく、動揺していて痛みよりも周りに迷惑をかけて申し訳ない、いろんな人に怒られるのではないかと言う嫌悪感でいっぱいでした。
小学校4年生の時でしたが生まれて初めての入院でした。今46歳になりますが後にも先にも入院したのはあの時だけです。頭のレントゲンを撮ったり、縫ったところは問題ないかを毎日チェックされるだけで食事の制限なども全くありませんでした。おじいちゃんにおばあちゃんがほぼ24時間ついてくれていたこともよく覚えています。
なんといっても弟と一緒に事故にあい、そのまま同じ部屋に入院したことに恥ずかしさを覚えるばかりでした。昔からおじいちゃんおばあちゃんが大好きでしたが入院したときにたった三日間とは言えとはいえ、ずっと病院に来てくれるのが嬉しかったです。夜も看護師さんがちょくちょく来てくれたので安心して過ごせました。
また食べ物に制限がなかったので大好きなデザートをたくさん買ってきてくれ、フルーツだらけの良質だったこともよく覚えています。人生であれだけフルーツをたくさん食べた事はないと言う位食べました。結果的に大した怪我ではなかっただけに、怪我の功名とはまさにこのことかもしれません。
入院中に忘れられないのは、なんといっても頭に異常があるかないかを確認する検査です。先生に質問をされたり、頭のレントゲンを撮る検査を行ったりするのは非常に面倒に感じていました。しかし、何らかの拍子に自分自身が頭に血管を追って一生マイナスな部分が出てくるのではないかと子供ながらに不安になりました。
先生からも簡単な脳震盪位で問題ないだろうと両親を通じて説明があったのですが自分自身としてははじめての入院であり、実際に救急病院に運ばれた時も麻酔がかかっていると言いながら頭を針と糸が通る姿を見てしまったので衝撃的でした。チクチクしている感覚などよく覚えています。
それ以外に入院で怖いことなど一切ありませんでした。むしろ弟と同じ病室で会話をしながらテレビを見ることができ、たまたま4人部屋にもかかわらず2人で三日間とは言えいろいろな話をすることもでき、見舞いにも同級生が来てくれたので全く寂しいこともありませんでした。当時は本当に近所のお兄ちゃんたちとの仲が良かったので病室で交わした会話は今でも覚えています。